人生は白い犬(=尾も白い)

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紀伊國一之宮

丹生都比売神社 紀伊國一之宮


畿内の一之宮巡りの延長線としての最終目的地が熊野であり、熊野詣でに日程上都合の良い宿泊地として高野山泊を旅程に入れた

高野山に登る前に紀伊國一之宮で時間を過ごすことにした

高野山へのゲートウエイとして橋本市があるが、高野口在住の普連土が案内してくれることになり、カーナビ不要となった

外ノ鳥居
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形状からして、両部鳥居になるのかな

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丹生都比売神社、にうつひめじんじゃ、と読む。
標高はおよそ450メートル

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ここも2004年ユネスコ登録の世界遺産「紀伊山地の霊場と参道場」に入る

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鳥居の先に輪橋、禊橋が見える

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内ノ鳥居
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楼門
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三間一戸楼門、入母屋造り、桧皮葺きで、室町時代、13世紀末の作、重要文化財である。


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楼門の前には茅の輪が置かれていた。
これは6月30日の夏越しの大祓い式の準備である。
参拝では、左にくぐり、次に右にくぐり、もう一度左にくぐって、最後に正面からくぐって先に進む作法である。
神道では、左⇒右⇒左、の順番に準じるが、お祓いの時、神職が大幣・大麻(おおぬさ。大ぶりの榊の枝に紙垂や布と麻をくくりつけたお祓いの道具)を振る順序も「左⇒右⇒左」となる。

狭いところをくぐって清めるというのは、オリエント起源とも言う。
凱旋門もそうと言えよう


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御祭神
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第一殿から第四殿まであり、さらに若宮の記載と、それぞれの御祭神が書かれている
御祭神からして、神仏習合の様子が色濃いことが分かる

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工事中のため全容が見えにくい

第一殿には、健康・長寿と農業・機織を司る女神、丹生都比売大神
第二殿には、丹生都比売大神の皇子・御子、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)であり、弘法大師を高野山に導いた神、転じて、人生の幸福へ導く神
第三殿には、食べ物を司る女神、大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)
第四殿には、財運と芸能の女神、七福神の弁天様、市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)
そして若宮には鎌倉時代に神社の発展に尽くしたとされる真言宗の僧侶、行勝(ぎょうしょう)上人が祀られている。神社に僧侶が祀られていることにより、神仏習合の色濃いことが分かるであろう
なお、大食都比売大神は気比神社(越前国一之宮。現、福井県敦賀市にある神社)から、厳島神社(安芸国一之宮。現、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社)から大食都比売大神が、それぞれ鎌倉時代に行勝上人により勧請(分霊を他の神社に移すこと)されている。
また、本殿が四つになったのは北条時子の寄進によると言う。


由緒書き
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『日本書紀』に「天野の祝」という記述があるが、これから創建がおよそ1700年以上前と推測されている。
また天平時代(729年から749年)の祝詞からもこの社の由緒が分かると言う。
元寇の折、この神社で蒙古(元=モンゴル)襲来の託宣があり、祈祷が実り元軍が撤退したと言う。
このこともあり、鎌倉幕府の崇敬が篤くなり、紀伊國一之宮となった。
安房の国の一之宮同様、源氏時代=武士の時代、の新一之宮と言えよう。

ではそれ以前の紀伊國一之宮というと、和歌山県和歌山市秋月にある日前神宮(ひのくまじんぐう)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)であり、創建は2600年以上前と言う。
武士台頭以前の元来の一之宮である。
そして、国府は名草郡、現在の和歌山市府中と推定される。しかし遺跡は未だ発見されていない

和歌山市駅から1.6キロにある一之宮からなら、国司(今日の知事に相当)が在勤する国府(県庁に相当)からおよそ6キロ、徒歩1時間30分の移動距離であろう。

しかし丹生都比売神社なら、国府からおよそ33キロ、徒歩7時間の移動と推測できる

今回は御神職と話す機会があり、二つの一之宮の存在、時代による一之宮の精神的位置などが推測できた


さて、神社境内から左手に足を向けると御影堂があり、その先に次のようなものがあった

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別の所から移転された石造五輪卒塔婆群である

今回の訪問では、高野口在住の普連土である、倉治さんの案内そして資料提供におおいに助かり、同行者一同感謝に堪えません
次回は和歌山市の一之宮の同行をお願いいたします
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| 神社 | 12:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

頼りない案内でした・・・<(_ _)>

私の知識がもっと有れば良かったのですが申し訳ないですe-351
念願の二人ドライブも良かったね、橋本、かつらぎ、高野山はほとんどOKです、けど次回の和歌山市方面はMUMにバトンタッチ、流石に和歌山周辺は良く知ってるわ、たぶん・・・?

しかし読んでて勉強になるね、地元なの知識に欠けてました、凄い所なんですねe-420e-420e-420

| 倉治 | 2013/08/03 09:10 | URL |

ある意味ユニークな神社でした~

倉治さん

やはり高野山という特性なのか、興味深い神社ですわv-17
そして鎌倉時代に政治力で一之宮になったってのも、他の国の例同様、発見でした~

次は和歌山市の一之宮と粟島様の案内をよろしくお願いいたしますv-17

| quitaviva | 2013/08/03 14:16 | URL |

終戦68年

もう原爆投下から68年、そして終戦68年ですね、日本国民として絶対に忘れたらいけない数字でしょう。

私は戦争知らない子供たちが大人になっただけで平和な暮らしが当たり前と思っていますが68年前は悲惨だったでしょう、来年になれば終戦69年、再来年は終戦70年、永遠に続きますが平和な暮らしに感謝しつつ終戦も脳裏に焼きつけるつもりです。

| 倉治 | 2013/08/12 13:46 | URL |

Re: 終戦68年

倉治さん
終戦68年を若者ではない人が忘れているって情けないことですねv-12
所詮は自分には関係ないって思っているんでしょうねv-17

先人たちの苦労を偲んで、毎年正午に黙祷をしていますv-421

| quitaviva | 2013/08/12 14:48 | URL |















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