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紀伊國一之宮、三社めぐり

しばしば一之宮(一宮、一ノ宮、一の宮)を採りあげているが、今回は一日で三社の一之宮を訪問したので三社について述べよう

一之宮とは律令制国家において国司(現代の知事に相当)は任国内の諸社に神拝すると定められており、その際に最初に訪れるのが一之宮、二番目が二之宮、三番目が三之宮などとされている

原則、一国一社であるが、時代によりその国により、山城国(京都)など一国二社などもある
一番多いのが越中国(富山県)の六社であるが、そのほか多いのでは信濃国(長野県)と出羽国(山形県)の四社である
三社は陸奥国(福島県など)と紀伊國(和歌山県)の二国である

かねてから一之宮と国府(国司が政務を執る施設。現代の県庁所在地の相当)との位置関係に興味があり、一之宮を訪れると国府の位置が気になってしまう
紀伊國の国府は名草郡(なぐさぐん)にあったと伝えられており、この郡は現在の和歌山市の大部分と海南市の一部を占めている
そして、国府の場所は現在の和歌山市府中の府守神社付近(阪奈線の南側)と推定されるが、遺構は発見されていない

当日は橋本市高野口町在住の写真仲間のフレンド倉治さん、そしてそのご近所に住むMUM奥様に案内され効率良く三社巡りができた


丹生都比売神社 紀伊國一之宮

すでに一度採りあげた社であるので詳細は避ける。
詳しくは2013年8月2日アップのブログをご参照されたい

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以前はこの橋を渡ることができたが、渡れぬように縄で通行禁止となっていた

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社伝によると今から約千七百年前の創建というが、単純計算して西暦314年頃になる
仁徳天皇の時代であるから正確な歴史は残されているのであろうか

さて紀伊國の国府からの距離であるが、約31km、徒歩で6時間半ほどであろうか
現代人の歩速では1キロ約15分、4キロ約1時間ほどであるが、往時の歩速はもっと遅かったと思われる
ちなみに江戸時代に整備された一里塚は一里毎(およそ4km)におかれ、旅人は一里歩いて休息を取るなどの目安としたのだろう



日前神宮・國懸神宮 紀伊國一之宮

神宮の神職からいただいた資料によると「日前國懸神宮(日前宮)」「(ひのくまくにかかすじんぐう(にちぜんぐう)」とある

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鳥居をくぐり太鼓橋を通過すると、左方向に日前神宮(ひのくまじんぐう)、右方向に國懸神宮(くにかかすじんぐう)の案内板がある

神道は‘左から’のしきたりがあるので、まずは左方向の日前神宮に向かって歩いた

日前神宮
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そして東側に向かう

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國懸神宮
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社伝によると「創建二千六百餘年を溯る」とある
紀元前から存在するということは神代神話の時代となる


北東方角に位置する国府からの距離は約6キロ、徒歩で約1時間20分ほどであろうか


伊太祁曽神社

「いたきそじんじゃ」と呼び、神職からいただいた資料では「木國一之宮」とある
木國が紀伊國となったのは、諸説あるようだ
まず、名称の由来として、雨が多く森林が生い茂っている様相から「木国」と命名されたとの説。
和歌山県北部が、有力豪族である紀氏が支配していた地域であるからとの説。
そして、和歌山弁で‘き’の発音を‘きぃ’とすることから出ているとの説もある。
そういえば‘に’を‘にぃ’、‘て’を‘てぇ’などと発音することを様々な体験から覚えている

紀伊国と表記するようになったのは、和銅6年(713年)「雅字(良い文字の意)二文字で国名を表すように」との勅令が出された時からのようである。


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御祭神は、五十猛命(いたけるのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子である。 『日本書紀』では我が国に樹木を植えて廻り、緑豊な国土を形成した神とある。『古事記』では大屋毘古神(おおやびこのかみ)とある。
本殿の両側の脇殿があり、妹神である大屋津比売命(おおやつひめのみこと)、都麻津比売命(つまつひめのみこと)が祀られている。

『続日本紀』によると創建は大宝2年(西暦702年)とある。

また当地に鎮座する前は、日前神宮・國懸神宮の社地に祀られていた

さて国府との距離であるが 、国府からほぼ南約10キロ、徒歩約2時間である


紀伊國での三つの一之宮を採りあげたが、資料がすくなくて最初の一之宮がどこになるのかわからない。
さまざまな記述から、日前神宮・國懸神宮、丹生都比売神社、伊太祁曽神社の順、あるいは、日前神宮・國懸神宮、伊太祁曽神社、丹生都比売神社の順になるのだろうか


次回訪問の際には、是非とも和歌山市府中の府守神社にも足を向けたい

今回は仕事の関係で最初の一之宮だけ同行してくれ宴席の機会を設けてくれた倉治さん、残りの二社と人形(ひとがた)供養の神社なども案内してくれたMUM奥様に心から感謝をもうしあげたい






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| 神社 | 12:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

楽しいひと時 !(^^)!

12月初旬なのに雪の舞い散る寒い和歌山で申し訳なかったです、和歌山は南国のイメージですが紀北地域は高野山の麓なので凄く寒い地域です、一変して夏になると40度オーバーを記録するほどの暑い地域です、そして紀の川の水源に恵まれての生活を送っています、ただ紀の川の影響で湿度が高いのが難点、まぁ湿度のお蔭で春秋の雲海は素晴らしいです。

飲食を共にして、そして400㌔近くのドライブも私の人生史に深く刻まれました、楽しいひと時ありがとうございました e-420

そして私の代わりをして下さったMUM様、ご苦労様でした e-420

| 倉治 | 2015/01/11 19:12 | URL |

楽しい2日間ありがとうございました😊

人形の神社はもう生きません❗近くの店におく貝は食べに行きますけれど。

神道は左からですか勉強になります。
日前宮に行った時どちらが先か何時も悩んでたんです。これで解決しました(^^)
ありがとうございます。

| mum | 2015/01/11 20:59 | URL |

私にとっても>Re: 楽しいひと時 !(^^)!

こんにちは(^_-)

天候は倉治さんのせいじゃないですよ~♪

和歌山も潮岬付近とは全く違う文化圏であることを体感できました!(^^)!

次回も四国詣で後に寄らさせていただきます(^_^)/~

| quitaviva | 2015/01/12 11:54 | URL |

こちらこそ>Re: 楽しい2日間ありがとうございました😊

MUMさん

次回は立派なお子さんともお話ししたいです(^_-)

ヒトガタの神社は次回のブログで採りあげる予定です(^_^)/~

| quitaviva | 2015/01/12 11:55 | URL |















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