人生は白い犬(=尾も白い)

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久々の神社訪問(^^ゞ

3月の神社詣で -その2


三日目


三崎に宿泊した翌日、朝食後、同行者達と海南神社(かいなんじんじゃ)を訪れた


海南神社


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三崎港交番近くの商店街を北に向かって歩くとすぐに神社に行きつく

相模国三浦総鎮守である
そして三崎の人々の崇敬を受けている鎮守の社である
地図によると、相州海南髙家神社ともある。

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拝殿
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権現造である。

本殿
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神明造である。

拝殿で参拝して境内から去る人が多いようだが、本殿の裏側に行くことができればなるべく一周して本殿建物を眺めるのが私的見学法である
どのような彫り物があるか、装飾があるかなどを見て回るのである

予備知識もなく三崎に来てしまったが、地元でお店を営む知人のお店勝手口に立派な神棚があり、そこで総鎮守が近くにあることを知った

ご祭神は、藤原資盈(ふじわらのすけみつ)、そして資盈の后である盈渡姫(みつわたりひめ)、地主大神(じぬしおおかみ)、素戔嗚尊/須佐之男命(すさのおのみこと)、天日鷲神(あめのひわしのかみ※[別称]大鳥大神)、菅原道真(すがわらのみちざね)、筌竜弁財天(せんりゅうべんざいてん)である。

藤原資盈は、清和天皇の治世、皇位継承争いに絡んで讒訴を蒙り左遷され、貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中、暴風により三浦半島に漂着し、当地の長に推戴されている。
資盈はその後房総の海賊を平定し、また福祉に努めたため地元民から崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀っている。
天元5年(982年)、現在の地に社殿が建立され、三浦郡の総社となり、承応2年(1653年)には正一位に列せられ、享保4年(1719年)には三浦半島の総鎮守となった。
明治6年(1873年)に郷社となり、明治40年(1907年)に神饌幣帛料共進神社に指定されている。

なお、藤原資盈は藤原式家(ふじわらしきけ)の一人で、藤原広嗣(ひろつぐ:藤原宇合の長男)の五代孫である。

地主大神は土地神、素盞鳴尊は天照大御神の弟神、天日鷲神(あめのひわしのかみ)は阿波(あわ)の忌部氏 (いんべし)の祖神、菅原道真公は言わずと知れた学問の神、筌竜弁財天(せんりゅうべんざいてん)は地元の竜神伝説の主で三浦七福神である。


春うららのなか、城ケ島を散策し、美味しい海産物ランチをいただき、一行とはしばしのお別れを
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ランチでいただいた、しったか貝
P3162899しったか貝

海鮮丼
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一行と別れたのち、大学時代の同級生宅に向かった
この夜も旧友とその家族と一緒に楽しい夕食と歓談を楽しんだ

P3162904三崎の真魚家(まなや)
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四日目


横須賀市の郊外に宿泊したので、かねてから訪れたいと思っていた走水神社に行くことにした




走水神社


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ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)とその后、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)である。
記紀(『古事記』『日本書紀』)を読んでいると日本武尊の話が結構あり、様々な苦難を乗り越えて、蝦夷(えみし)を平定する様子がわかる。
その中でも走水から上総国(かずさのくに)に渡る際の、悲劇というか、后を失う逸話はあまりにも有名であり、筆者も印象深く覚え、故に一度は訪れないと話にならないと思っていた。
それ故の今回の訪問である

そもそもなぜこの地から海路千葉に渡ろうとしたのか、古代東海道のルートを見てみたい。
東海道と言うとお江戸日本橋から都に至る街道だが、古代は鎌倉を経て走水に至り、ここから海路をたどって上総の国へ通じていた。
江戸時代以前は現在の都心は湿地帯であり、内陸側の武蔵野国を通って北に渡る、東山道もあった。

さて、12代景行天皇の皇子(みこ)日本武尊は、景行天皇即位40年に東国鎮定を命じられた。
途中、静岡(焼津)では、賊にだまされ火攻めの難に遭遇されたが、雨叢雲之剣(あめのむらくものつるぎ)で草を薙払い、向火を放ち形勢を逆転させて賊を討伐したといわれ。この剣は神宝・草薙之剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、以来熱田神宮の御神宝となっている。
このことにより日本武尊は火伏(ひぶせ)のご神徳ありと崇敬されている。

尊が走水から上総に渡ろうとしたが暴風雨に遮られ立ち往生してしまった。
その際、同行の后が自ら入水して海神の怒りを鎮め航海の安全を図ったという話が記紀(特に『日本書紀』)にあり、このこともあり、走水神社は創建されている。


拝殿
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弟橘媛命の碑
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拝殿右側と本殿裏手
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日露戦争の記念物
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捕獲した露西亜の機雷である。


さらに奥に進む

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神明社
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左から、諏訪社、神明社、須賀社

諏訪社は出雲を明け渡して諏訪に移った建御名方神を祀る社(やしろ)で、出雲の大国主命の子神。国津神(くにつかみ)、地祇、地に現れた神々の総称、土着の神。

神明社は天照大御神を主祭神とする社。天津神(あまつかみ)、高天原から天降った神の総称。

須賀社は素戔男尊(すさのうのみこと)、建速須佐之男命、須佐之男命を祀る社。天照大御神の弟神。

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山を下り、駐車場に向かおうとしたら、包丁塚の存在に気が付いた
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走水の住人であった大伴黒主が日本武尊に料理を献上した故事に由来するという。

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そして場所柄気になったのは頭上を飛来する航空機だ
飛びモノ好きにとってはたまらなく、カメラのレンズを標準から300㎜の望遠に変えたい衝動を、神社見学終了まで抑えていたが、駐車場に着いたら早速望遠にレンズ交換をして米軍ヘリや自衛隊ヘリ、羽田アプローチの航空機などをカメラにおさめた(@^^)/~~~

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こうして3月も終わり、来週からいよいよ新年度、4月に入る
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