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『古事記』 ―日本の神々を知ると豊富な知識が

数年も前になるが、財団法人入管協会から依頼され外国人留学生などに日本文化を紹介してほしいとの主旨の原稿依頼があった。何を書こうかと思ったが日本の古典である『古事記』を紹介することにした。

で、書き上げたのが協会発行の『国際人流』である。
以下は同誌9月号に掲載されたものを若干加筆修正してアップした。

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講談社学術文庫の上中下三巻


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角川ソフィア文庫 ビギナース・クラシックス 日本の古典は初心者向けに解りやすく書いてある



『古事記』
~日本の神々を知ると豊富な知識が~

 時代劇を見る。道場のシーンがある。セットには神棚があり、鹿島神宮と香取神宮の御札「鹿島大明神」と「香取大明神」、が決りごとのように飾られてある。何故だろう?

 そこで鹿島神宮の御祭神と香取神宮の御祭神をHPで調べてみる。前者は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、後者は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)とある。二柱(*1)共に、出雲の国譲りで登場し、二度失敗している国譲りを三度目で成功させた神々である。武甕槌大神はその出生を遡ると、邪那岐命(いざなぎのみこと)の剣(つるぎ)から生まれた神で、剣の神霊とされている。一方、経津主大神は後の編纂となる『日本書紀』に現れるが、『古事記』では天鳥船神(あめのとりふねのかみ)として登場する。二柱共に出雲に出向き、稲左の小浜で十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに突き立てて武威を表し、大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを迫ったという。このことにより、道場シーンに小道具として現れるのであろう。



武甕槌大神を御祭神とする鹿島神宮
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経津主大神を御祭神とするう香取神宮
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 古事記には様々な神が登場する。祭神の由来を神社で知るか、古事記で知るか、いずれにせよ、知識が増えて、話す内容が豊かになるだろう。

 さて古事記は、天武天皇の勅命により、稗田阿礼(ひえだのあれ)が伝承していた帝紀や先代旧辞を太安万侶(おおのやすまろ)が記録し、和銅5年(712)に献進した、日本最古の歴史書である。天皇家の系譜を基盤とし、様々な神話や皇室関係の古代伝説を物語として記述されたものである。上巻、中巻、下巻の三巻よりなり、上巻では天地が創造され、神々誕生となる神話部分から、鵜萱葺草葺不合命(うかやふきあへずのみこと)の誕生までが描かれる。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の天の岩戸や弟神である須佐之男命(すさのおをのみこと)の八俣(やまた)の大蛇(おろち)、大国主神(おおくにぬしのかみ。大国主命)の因幡(いなば)の白兎、海(うみ)幸彦(さちびこ)と山幸彦(やまさちびこ)などといった、知名度の高い物語がある。

 中巻では神武天皇から応神天皇まで、下巻では仁徳天皇から初代女帝の推古天皇まで、歴史書などで見知った天皇などが描かれている。神話的性格を持つ上巻に対して、中巻や下巻は歴史へと結びつける記述が伝説も盛り込まれて叙情性豊かに描かれている。神々の系譜と誕生、地名の言われ、名門先祖の言われなどが登場する。

 中巻の神武天皇の東征では、高千穂宮のある日向(現、宮崎県)から宇佐(現、大分県)に向かい、瀬戸内海を経て難波(現、大阪府)から陸路と海路で、熊野(現、和歌山県)、吉野(現、奈良県)を経て、畝火(うねび)の橿原宮に入り東征は終わる。また八咫烏(やたがらす)に先導されて熊野から吉野に入る記述がある。この八咫烏は、近代サッカー紹介者の出身地、那智勝浦町に熊野那智大社があることから、敬意を表して、日本サッカー協会のシンボルマークになっている。
 また中巻には倭建命(やまとたけるのみこと)(『日本書紀』では日本武尊)が登場し、西征、熊襲(くまそ)征討では九州を平定し、東征では東国十二国(*2)を征討する。倭建命は、草薙の剣で火攻めを防いだ話などから静岡県に草薙や焼津の地名が残り、走水海を渡るとき后が入水し荒海を沈めたことから横須賀市には走水が残る。このように、地名などにも古事記の記述が出てくると、身近に感じられるではないだろうか。

 筆者には、神話的部分、神代を採り上げた上巻が特に面白く思う。神々や穀物などの生まれ方はどのような発想でそうなったかを想像すると面白い。例えば、黄泉の国から逃れた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊祓(みそぎはら)えを行った際、左の目を洗うと天照大神が、右の目からは月読命(つきよみのみこと)が、鼻からは須佐之男命(すさのうのみこと)が生まれるといった具合だ。

 また、須佐之男命が大気都比売神(おほげつひめのかみ)に食物を求めた際、神は鼻や口、尻から食物を取り出し、調理して差し上げるのだが、命(みこと)は穢(けが)れた食物だと思い、神を殺してしまう。すると殺された身体から、頭には蚕が、目に稲の種、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生まれ、五穀の種とされたとある。
 他の文化圏にも同様な逸話があるのだろうが、他と比べると特異かも知れない。

 さらに、三つの世界があり、天照大御神が天上界(高間原。たかまのはら)、上国(うわつくに)を、須佐之男命が地界、根国(ねのくに)、下国(したつくに)を治める。最後に残った上下間の国が葦原中国(あしはらのなかつくに)である。そこを天照大御神の御孫、邇邇芸命(ににぎのみこと)に統治が委任される。上国(うわつくに)には天津神(あまつかみ)、下国(したつくに)には国津神(くにつかみ)がおり、天津神は中津国(なかつくに)で国津神を従えて行く。この三つの世界は、天国と地獄のような概念ではないようだ。さらに、海のかなたにあると考えられた永遠の国、常世国(とこよのくに)、死者の行く地下の暗黒の世界、黄泉国(よみのくに)などの概念も出てくる。

 様々な神々が登場してくるので、一神教の人たちには理解できないかもしれない。その場合、キリスト教以前のギリシア神話やそれを継承したローマ神話と対比して説明すると分かりやすくなるかも知らない。

 さて、上巻にはポルノチックな表現も出てくる。上巻最初の方に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)との出会いがある。そのシーンで、互いの身体の特徴を述べあうところだが、性器の形状の表現が出てくる。その後、天の御柱を伊邪那岐命が左から、伊邪那美命は右から回って出会った所で夫婦となり、島々を生み出していく。しかし最初に出会った際、伊邪那美命が「あなにやし、えをとこを」(ああ何と良い男だこと)と声を出してしまう。伊邪那岐命は「女人(をみな)先に言えるは良からず」(女が先に言うのは良くない)と言うが、そのまま夫婦となり、二人の御子を産む。しかし不具合として、御子(みこ)の数には入れていない。そして出会いをやり直した。後の世に女帝も現れるが、この場面では男性主導が望まれたのか。どうやら中国の思想の影響のようだ。

 またこれも上巻だが、八千矛神(やちほこのかみ。大国主の別名)の妻問い物語では、ベッドシーンを思わせる歌も出てくる。このように、所々に性的表現も登場する。

 さて、筆者はポルノチックな記述に惹かれて古事記を読んだわけではなく、神仏習合美術を追いかけるため、神職研修を修めたことによる。当然のことながら、様々な知識を覚えなくてはならない。その前提として、記紀(*3)を読む必然性が生じたのだ。とは言っても、記紀の存在を歴史の授業で学んだものの、難しい漢字だらけの古典を読むのは辛い。しかし小学生でも分かる古事記が、青空文庫にあることが分かった。PCで初めて読んだのが鈴木三重吉著『古事記物語』(初版1955年)である。古事記全巻から抜粋された内容で、難しい漢字も少なく、簡単に楽しく読めた。

 しかし更に読んでみたくなり、角川ソフィア文庫の『古事記』ビギナーズ・クラシックスを読むが物足りなくなり、全巻を網羅した講談社学術文庫『古事記』上、中、下、三巻を読んだ。角川も講談社も、まず漢字仮名交じり原文があり、次に現代語訳があり、解説があるというスタイルである。ありがたいことに、読みやすくするために、漢字にはルビが付けられている。また‘天皇’を‘すめらみこと’など、音読みを訓読みにするが分かってくると、読み下すのが心地よくなってくる。つまり、祝詞の文言と同様の読み方で読み進んでいけばよいことがわかったからだ。文中には祝詞と同じ文言もあり、今の祝詞が延喜年間(10世紀はじめから中頃)にほぼ整えられたことも思い出す。

 いずれにせよ、神社に行き、御由緒書きなどで御祭神を知れば、その神の役割から御神徳が分かったり、旅に出て地名の言われがわかったり、読めば、古事記に関連する様々なことが外国人にも分かりやすく説明することができるだろう。

 紙面の関係から、古事記の記述を小出しに書き、あるいは説明もあまり加えずに書き進んでしまった。これにより欲求不満となったら、あるいは関心が生じたら、古事記を読むしかないだろう。

 最後に、国際化時代の今、古事記を読むということは、温故知新である。日本人として自らを語る、それも他文化と比較して語る上では、極めて有用だ。先人は何故そのように感じ、また考えたのか。読み進めば、答えも出る。外国人と接し自国の文化を語る際、何故そうなるのかのヒントも見つけられるだろう。

 例えば、豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)、葦原中津国(あしはらのなかつくに。日本のこと)は「豊かに葦が茂り、稲の育つ国」であり、いかにも農耕民族繁栄の願望が読み取れる。これが遊牧民族の国だと、ハンガリーのフン族、フランスのフランク族など民族名が読み取れる。それぞれの文化は比較尊重することにより、互いの理解が深まるのではないだろうか。

*1柱;神の数え方。樹木や柱、串などを神霊の依(よ)り代(しろ)とする信仰からきている。
*2東国十二国:伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総、常陸、陸奥とされる。
*3記紀:『古事記』『日本書紀』
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