人生は白い犬(=尾も白い)

人生をあれこれ楽しんでいます。

<< 2013-07- | ARCHIVE-SELECT | 2013-09- >>

| PAGE-SELECT | NEXT >>

>> EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

熊野三山奥の院 玉置神社

玉置神社
たまきじんじゃ

奈良県吉野郡十津川村玉置川にある

9時半頃、高野山を発ち、2箇所ほど休憩し、十津川の水害の凄まじさを車窓より眺めながら走り(by car, not running) 12時半頃到着した

後に京都在住のバスドラバーから、「迷わずに良く行けたもんだ」と感心され、また「ドライバーとして試される道だ」とも言われたが、幸運にも「通行止め本日解除」の看板が道路脇にあることから、通行できない状態も少なからずあると推測した
それに玉置神社のオフィシャルHPにもトップページに「十津川温泉周辺から玉置神社への道路状況」とあることから容易には行けないかも知れない神社と言うことが分かる。
あま、あくまでも幸運にも行くことができたということで、感謝したい

P5309171.jpg
P5309172.jpg
紀伊半島のほぼ中央に位置する。

P5309170.jpg

標高およそ千メートルのところにある駐車場に車を置き、鳥居をくぐる

P5309174.jpg
P5309175.jpg


P5309173.jpg
案内図を見るがどう歩いていい川からず、鳥居近くの茶店のオヤジさんに質問した
すると、略図が描かれた玉置神社の由緒書を渡してくれ、それに基づいて説明してくれた
自由に使える杖が置かれていることからも、神社までの起伏ある道が想像できた

とにかく前へ

P5309179.jpg
P5309183.jpg
下り道が参道なのか、「お体の不自由な方は左の道」と書いてある。
自動車道もあり、自動車祈念の場合は、自動車でさらに奥まで行けるようだ

我々一行は健脚ぞろいのため、ためらうことなく鳥居をくぐり、道を下る

P5309184.jpg
P5309185.jpg
寄進された鳥居が無数にある
P5309186.jpg
P5309187.jpg
P5309190.jpg
落ちたら怪我どころか命が危ないだろう

P5309189.jpg
ご神木の一つ神代杉である

そしてやっと手水舎に到着した
P5309192.jpg
駐車場からここまでおよそ25分
写真をとりながらゆっくりと来たが、普通に歩けば15分ほどだろうか

P5309195.jpg

見下ろすと大杉がある
P5309194.jpg
境内で最も大きな杉、目通り周囲11m、高さ約50m

そしていよいよご本殿に向かう

P5309196.jpg

P5309199.jpg
P5309201.jpg
P5309204.jpg

P5309205.jpg
本社・玉置神社の五柱のご祭神である

P5309200.jpg



本殿向かって左側には、若宮、神武社、神輿殿、大日社がある。

P5309206.jpg

P5309209.jpg
P5309208.jpg


P5309210.jpg
P5309211.jpg

神輿殿(右)と大日社(左)
P5309214.jpg

そして再びご本殿である

P5309216.jpg
P5309217.jpg
P5309220.jpg
第十代崇神天皇の時代に王城火防鎮護と悪神退散のため、 創建されたと伝えられている。
入母屋造り内陣に三社が奉祀される。

玉置神社梵鐘(昭和34年国指定重要文化財)
P5309221.jpg

社務所近くの案内板
P5309222.jpg

社務所で御朱印をお願いし、その間、頂上まで登ってみることにする。
神職は「健脚なら15分」と説明してくれた


まずは三社神社(みはしらじんじゃ)を通り過ぎる

P5309224.jpg
P5309225.jpg
俗に稲荷社と呼ばれ、この周辺の稲荷信仰の中心となる

さらに出雲大社玉置教会脇を通り過ぎる
P5309226.jpg
明治維新後、神仏分離令により、十津川郷中すべてが廃寺され、全村民が大社教に属したことから、これが設立されている。

P5309227.jpg

玉石社
P5309228.jpg
P5309229.jpg
P5309230.jpg
P5309231.jpg
神武東征以前から熊野磐座信仰(くまのいわくらいんしんこう)の一つとして崇められてきたのが玉石である。
玉石は玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座する末社である。
ここには社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式が見て取れる。
玉石社は玉置神社の基となったと伝えられ、玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっている。
大峯修験道(*1)では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしと なっている。

*1大峯修験道=八経ケ岳(八剣山.標高1914.9m)を最高峰とする峰々の大峰山系の吉野から熊野まで、約80kmを縦走、修行する道。


修験道は7世紀に役行者(*2)が大峰山を開いて修験道の本拠地となり、玉置山は大嶺入峰修験の順峰逆峰(*3)双方向の拠点となっている。
なお玉置神社が神仏習合となったのは天安2年(858年)のこと。天台宗智証大師が那智の滝にこもった後、玉置山において修法加持し本地仏を祭ったことによるようだ。

*2役行者=または役小角(えんのおづの/おづぬ /おつの)。飛鳥時代から奈良時代の呪術者。修験道の開祖とされる。後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれるようになった。
*3順峰逆峰=熊野本宮大社の本宮証誠殿(1番)から吉野川河岸の柳の宿(75番)へ向かうのを順峰(じゅんぷ)、その逆に巡るのが逆峰(ぎゃくふ)。


さらに奥に進む

P5309232.jpg
P5309233.jpg
磐座(いわくら)であろうか

いずれにせよ、仏教が国教になったとき、「神道は仏教にならえ」とのことで、仏教以前の神道では建物としての神社はなく、こんにち見られるのはお寺のスタイルをまねて建てられた建造物である。
石や岩は神聖なもの、崇拝の対象となっていた

さらに頂上をめざす

P5309234.jpg
このあたりがブレステイキングな登りであろうか

そしてやっと頂上だ

P5309236.jpg
標高1076m(V)o¥o(V)

三角点もある!(^^)!
P5309238.jpg

しかし視界は悪い

P5309239.jpg

頂上からは様々な方向に行ける

P5309235.jpg

しかし残念ながら社務所に戻らないとご朱印が回収できない

で、戻る

社務所に戻り神職から「思ったよりも早く戻られましたね」と言われるから、私は剣客ではなく、健脚なのだろう

社務所の一角にお神酒が置かれており、セルフサービスでお清めをいただいた

P5309241.jpg
奈良県のお神酒であった

そして無事に駐車場に戻り、宿泊先に向かった


スポンサーサイト

| 神社 | 15:45 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT >>

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。