人生は白い犬(=尾も白い)

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安房の国の一之宮 その二

洲崎神社


前回採りあげた安房神社から、房総フラワーラインを走り、およそ10キロ、20分弱で洲崎神社(すさきじんじゃ、または、すのさきじんじゃ)に到着する

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標高110メートルの御手洗山中腹に社殿が鎮座する。

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上部は、多分、旧社格の‘県社’の文字が削られたのであろう。

大鳥居
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海に面して一の鳥居があるので、これは二の鳥居か~

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大鳥居をくぐると、随身門手前右側に長屋がある。

由緒書
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主祭神は天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)、安房神社祭神天太玉命の后神である。
相殿神、配神に、天太玉命(あめのふとだまのみこと)および天富命(あめのとみのみこと)の二柱が鎮座される。

安房は四国の阿波に由来するようであるが、由緒書きによると、安房忌部一族の祖天冨命が神武天皇の勅命により、四国の忌部族を率いて房総半島を開拓され、忌部の総祖神天太玉命の后神、天比理乃咩命を祀ったとされる。
延喜式神明帳には‘式内大社后神天比理乃咩命神社’とあるようだ。
その前の名が‘洲ノ神’(すさきのかみ)であった。

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厄祓坂
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例大祭の時などはこの急坂を神輿が下り、そして登る。
Breathtakingな坂である。

しかし登ってみると海の景色が素晴らしい

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拝殿
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安房の国一宮である

一之宮、一の宮、一宮、一ノ宮、とは、律令制の令制国(りょうせいこく)で、その国で最も格の高い神社であり、その次が二ノ宮、そして三ノ宮と続く。
なお、尾張の国一ノ宮は現一宮市にある真清田神社であり、三種の神器の一つ、天叢雲剣(草薙剣)は三ノ宮の熱田神宮に神体として奉斎されている。


地方行政単位の国の行政官、国司(くにのつかさ)として中央から国府に派遣された官吏が、最初に詣でるのが一ノ宮であり、二番目に詣でるのが二ノ宮という。
では安房の国の国府はどこか
現在の南房総市府中付近、館山市の北東約17キロのところにあったとされる。

もう一つの一之宮に安房神社があるが、それでは国司はどちらに最初詣でたのであろうか

当社の神職さんに尋ねると、源頼朝が石橋山の戦いに破れ、安房の地に逃れてきた際、先ず当社に参籠し源氏再興を祈願し、武士の時代になると、洲崎神社が一ノ宮と知名度を上げたのではないかと言う仮説を述べていた。


本殿
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三間社流れ造りである。

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金比羅神社
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本殿右脇にある。
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厄祓坂を下り、海に出てみる

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冬の空気の住んだ日であると、鳥居の向こうに富士山が見えるという

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御神石(ごしんせき)
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陰陽石と思ったが、由緒書きによると、「役行者または役小角(えんのおづの /おづぬ /おつの)が飛来し海上安全のため一つを洲崎の地に、一つを現在の横須賀市吉井の地に祀ったという伝説と、龍宮より一対の御神石が当社に奉納されたが、ある時その一つが天太玉命の御霊代として東国鎮護のために吉井の地に飛んでいったとう伝説がある」。
また、両御神石は互いに向かいあっているという。

本殿を遠望してみる。

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そして穏やかな内房の海を眺める

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日本武尊が東征のおり、走水(現神奈川県横須賀市)から房総半島に渡ろうとし、荒ぶる海を鎮めようと、尊の后、弟橘媛(おとたちばなひめ)が入水したという話しがある。
海が静まった後、尊は安房の国に上陸したのではとの浅学故の間違いで当地に来たのだが、尊は、安房国ではなく、上総国(現千葉県市原市付近)に上陸したという。
思い込みでした

また勝海舟(かつ かいしゅう)は、何故、安房守を名乗ったのだろう、などとが連鎖的に増えていくのも困ったものだ

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