人生は白い犬(=尾も白い)

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三つの都都古別神社@福島県-その2

‘八槻都都古別神社’(やつきつつこわけじんじゃ)で町の北側に別の都都古別神社の存在を知り、帰路訪れることに

まずは棚倉町に行ってみた

時の鐘
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川越市との友好都市関係から川越市にある時の鐘をポケットパークとして整備した。
川越市との関係は、棚倉藩15代城主松平康英が川越に国替されたことに由来するようだ。

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説明書きを読むと、ここに近津(ちかつ)神社があり、それをこれから行く現在の都古別神社に移したという。
そしてまだ行ったことはないが、別に3つの近津神社が現存しているらしい。

久慈川沿いには、これから述べる馬場都都古別神社(上之宮)、八槻都都古別神社(中之宮)と近津神社(下之宮)があり、それらを合わせて近津三社と言われる。
近津神社は久慈川沿いのとは別に、さらに八溝川沿いに上之宮近津神社と町付近津神社があり、この区分だと久慈川沿いのは下野宮近津神社の3つとなる。
このことが分かったので、いつか、3つの近津神社巡りをしなければいけないなと思いついた

一の鳥居
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一の鳥居を通らないで、わき道から来てしまった

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二度目の訪問であるが、滑らないように気をつけながら階段を登り、二の鳥居をくぐる
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旧國幣中社であったが、現在では「國幣中社」も文字が消されている。

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随神門である

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「陸奥国一宮」ある
前回採りあげた八槻都都古別神社は「奥州一宮」とあり、棚倉町の北側と南側に一の宮、そして旧國幣中社が存在する
さらに次回採りあげる、隣町にある神社も「陸奥国一宮」を名乗る

この件で、石川町の石(いわ)都々古和氣神社の宮司に尋ねると「分からない」との答えであった。

良く参考にする神社ブログ「玄松子の記憶」を引用させていただくと、次の記述がある

「明治6年に、馬場の都都古別神社が國幣中社に列せられた時、当社(筆者注:八槻都都古別神社)こそが、式内社であり、奥州一宮で、國幣中社に相応しいとの論争が起こり、その結果、両社並立という措置によって、当社(筆者注:八槻都都古別神社)も明治18年國幣中社となった。」

すると石川町の一の宮とは何だろうか

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三の鳥居をくぐる。

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拝殿である

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「都々古和氣神社」と書いてあるようだが、延喜式神名帳には「都都古和気神社」と記載がある。
「別(わけ)」となったのは明治時代になってからと言う。

御祭神は同じく、味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネあるいはアヂシキタカヒコネ)であり、配祀として日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が合祀されている。

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本殿である

そして本殿裏手に東照宮がある

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初回訪問時は東照宮まで足を向けたが、今回は嫌な予感がしたためか、摂末社(せつまつしゃ)、つまり、その境内または神社の附近の境外にある小規模な神社には足を向けることが出来なかった


そして予感は的中し
拝殿前で振り返ると、遭遇してしまいました

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御祭神によっては神様の御使い、または神様の仮の御姿などになるのですが、草深いこの神社では単に蛇ゆえに驚いた次第です

3つ目の都都古別神社に続く


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| 社寺 | 13:54 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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国境の仕掛け

栃木県と福島県の県境をはさんでそれぞれ異なる神社がある。

ここは旧奥州道中(街道)、そして古くは鎌倉街道であった。
現在は国道294号線で、部分的には旧陸羽街道とも称される。
千葉県柏市から茨城県南部・西部、栃木県を通って福島県会津若松市までを結ぶ一般国道であり、その延長は241.8kmである。

国道4号線の幹線道路を避けて、しばしば裏街道的な294号線を走るが(by my car, not running)、道路は部分的に広かったり狭かったり。
そしてこの県境は狭いので、街道歩きのときは大型自動車に細心の注意をして歩いたものである(on foot, not by my car)。
今では大型トラックが結構走行するので、実際に両神社見学の時には、十分に注意されたい。


栃木県からみた県境
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玉津島神社
P3204588玉津島神社

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祭神は衣通姫(そとおりひめ)であり、紀州和歌の浦の玉津島神社を11世紀に勧請したものである。
衣通姫は記紀(古事記・日本書紀)には絶世の美女と伝承されている。
和歌の神である。

神社西側には駐車場もあり、那須町の観光スポット的史跡である。


御由緒書き
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女性神は内、自らの国を守ると考えられ、下野の国には玉津島神社が祀られ、そして外、岩城の国、他地方を抑する住吉神社は男神の中男筒命(なかつつおのみこと)が祭神として祀られている。中男筒命も和歌の神様である。
しかし後ほど県境を越えて、福島県白河市にある社を訪れると、まったく逆のことが説明されている。

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どういうわけか、社の右側には大日如来坐像が、平成の時代だが寄贈され鎮座している。

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さて、車に十分注意をして福島県側に入って見よう。

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福島県側の道路は道幅が狭く、神社参拝・観光客用の駐車場も無い。
那須町の駐車場に車を置いて歩いていく。


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3.11で被災した鳥居はまだ修復がされていない。

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奉納額が目にはいる。

和算額
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御由緒書き
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陸奥(岩城か?)側には玉津島神社、下野側には住吉神社とあり、それぞれ自国を内なる国として捕らえているわけだ。
これが視点の相違であり、かつて学んだ異なる視点での思考の重要性を思い出した。

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龍は水の神様であり、火伏せのために彫られることが多い。

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空想の動物などを刻んだ彫刻も見事である。


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さてこの神社の反対側には‘二所の関’の説明がある。
関所が二箇所あるということである。
境の明神のあるところには、現存しないが関所があったという。
そして、この街道の南にもうひとつ別の関所、白河の関がある。
今日では史跡として観光客も多数訪れる。
ではそちらの街道はなんだろうか、古い街道のひとつ東山道である。

それではそちらも紹介しよう。



道の駅、伊王野から北上する。

追分の明神と記されたところがある。

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栃木県と福島県の県境、下野の国と岩城の国の県境である。

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ここから白河道とある。
白河の関までは走って(by car, not running)数分である。

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追分の明神である。
県境手前のため栃木県那須町の史跡になっている。

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義経伝説は至るところにある。

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坂上田村麻呂の名が出てくると、東山道を北上し、戦勝祈念のため八幡神社を建てたとの説明があちらこちらにあるが、ここでは住吉玉津島神社である。
陸奥川の神社は残念ながら残っていない。

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そして数分車で走ると白河の関である。

白河の関入り口
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このほか、栃木県大田原市から茨城県大子町にいたる県境にも、明神峠という地名があるが、社の痕跡は見つけることが出来なかった。

昔の国境って、仕掛けがあるもんだと、しみじみ思ったしだいです。

ご訪問感謝いたします。

| 社寺 | 15:32 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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光丸山法輪寺-2

光丸山法輪寺(こうまるさんほうりんじ)

二の鳥居から、大日堂に戻り、お寺の中を散策してみよう。

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道路から近くの、境内にある駐車場に車を置き、最初に大日堂のある場所に入る。


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境内入ってすぐ右手には御水屋がある。
川で清めなくても、今ではこの御水屋で、手や口を清める。
そしてから大日堂に近づく。

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大日堂左には天狗堂がある。
公開は11月2日から4日にかけて執り行われる、大祭の時である。

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公開された天狗

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市指定有形文化財(彫刻) である。
「高さ2.14メートル、幅1.5メートル、鼻の高さ1.3メートル、重さ1トンで、木製の天狗面としては日本一の大きさといわれています。」市のHPより一部抜粋引用。

こちらには比較的新しい天狗面と奉納絵馬がある。

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境内を置くに進む前に、11月に執り行われる、大祭の様子に触れることにする。

御水屋
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神仏習合の珍しさもあってか、地元民ばかりではなく、観光客もやってくる。

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御神輿を先導するのは、天孫降臨でニニギの尊を先導した猿田彦なのだが、記紀の記述文からすると天狗のような形相とも想像できる。今日のお祭りでは、その想像から作られたお面をかぶって先導する。
今日では猿田彦と天狗が混同されているようだが、それぞれの土地により、猿田彦とする所、天狗とする所があるようだ。
ここでは大天狗のお面で有名なことから、天狗が先導することになっているようだ。
同じ市でも旧町内の神社のお祭りでは、猿田彦が神職とともに御神輿を先導している。


天狗が小神輿を先導し、

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僧侶の集団が、御神輿を先導し、

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町を練り歩く。

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警察官も交通整理で大わらわになる。
そして神社なら僧侶が御神輿を先導することがないから、僧侶に先導される御神輿行列は栃木県では大変珍しい。そのためカメラマンの格好の被写体となる。

天狗役の人は大変だ、転ばないように注意しながら、介添え人にも助けられる。

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-3に続く-

| 社寺 | 15:42 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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光丸山法輪寺-1

光丸山法輪寺(こうまるさんほうりんじ)

那須烏山市から那須塩原市に向かう途中、つまり、烏山から那須にむかう途中、佐良土という町がある。
ここは旧街道時代の宿場町のようで、往時の屋号が街道沿いに掲げられている。

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郵便局もこれにならって、現代風屋号を掲げている。

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佐良土は、塩原に向かう塩原街道(名称推定)、と那須に向かう那須街道(名称推定)の旧来からの分岐点である。
塩原街道といえば、紅葉で有名な塩原渓谷沿いの道を思い浮かべ、那須街道といえば、黒磯市のアカマツ林の街道を思い浮かべる人が多いだろう。

しかし古来から塩原や那須に至る道は存在し、佐良土近くの侍塚古墳や那須国造碑(通称、笠石神社)などがあり、水戸光圀も調査を命じた史跡等になる。

那須に向かって車を走らせると、大田原市に向かう道と那須塩原市に向かう道の三叉路があり、那須方面に向かうと、川の中にある鳥居が目に入る。

光丸山奥の院一の鳥居である。

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川の中にあるってことは、禊の場所かな、などと想像を膨らませる。

その鳥居の東側には立派なお堂がある。

光丸山法輪寺の大白堂である。

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案内板によると9世紀半ばにさかのぼることのできる古刹である。

鳥居とお寺、言わずと知れた神仏習合の地である。

一之鳥居があるからには、二があって、行き着くところは奥社、奥の院があるはずだ。

ということで、お寺の駐車場に車をおいて、二之鳥居に向かって歩いてみよう。

ありました、神社が。

良く見ると、温泉神社だ。

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温泉とは「ゆぜん」とも「おんせん」とも読むが、いわゆるホットスプリングの温泉ではない。
農耕民族にとって湧き水は非常に大切なもの。
冬の寒い時に湧き水に手を入れると温い、温い泉なので、温泉、そして、湧き水という授かりものを崇敬するのが一般的で、農村地帯には湧き水がなくても、温泉神社の名称の付けられた社があちらこちらにある。

そしてこの本殿裏手に何かがある。

道路に下りて、また歩き出す。

二の鳥居
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道路よりも高い位置にあるので、車を運転して通過するのでは分かりにくいだろう。

登ってみる。

ただし現在は3.11後、階段注意なので、北側から回り込んで登ってみる。
しかし、そこが私有地なのかどうか分からない。
歩いていると、二の鳥居近くの家の犬が吠え出し、洗車中の家人はよそ者を一瞥する。
怪しいものではないと言うことを示したくて、大声で挨拶した。

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二の鳥居の先は耕地なのか、空き地なのか分からない。
そしてその先にあるという。

お寺に掲げられた説明書き
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二の鳥居の先は道が無いので、今回も小高い丘にあるという奥の院に行き着くことはできなかった。

さて、二の鳥居から東の方を眺めてみよう。

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住宅地や耕地が広がっており、その先は、那珂川がある。
古来、陸路が完備されていなかった時代には、水路が重要であった。

古墳が那珂川沿いに多数あるのは、やはり主要水路として利用されたからであろう。

法輪寺の数キロ先北にある侍塚古墳
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さて、二の鳥居から法輪寺に戻って、寺を散策してみよう。

-2へ続く-

| 社寺 | 16:26 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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